酉谷山避難小屋の水場の様子について(2023年11月)

酉谷山避難小屋の水場は、いつもの年ならば涸れている時期でもあるのですが、今年(2023年11月末)はまだ健在です。

ただ、酉谷山避難小屋の水場は、地層深くからの水脈を持っているわけではないと思われます。寒さが厳しくなるとピタッと出なくなり途方に暮れますので、基本、自分が必要な水は自分で担ぎ上げるというのが無難です。

なお、以前は善意の方が使わなかったペットボトルを置いていってくれていましたが、この水を当てにして使い放題となっていたことにより、最近はほぼこのような水を当てにはできません。これは確実なことです。

 

「山に登るなら、自分が必要な水は自分が持ってくればいいだけのこと。」ではないでしょうかね。

やま旅・はな旅 北海道

このブログは、ホームページ「やま旅・はな旅 北海道」の関連記事などを、ヤフー・ブログの終了に伴って移行するために開設しました。

 

山の話を中心に、日々の出来事や考えなども載せていましたので、引き続き同じようなスタイルでやっていきたいと思っています。

 

皇后さまと曽野綾子先生 (2018)

皇后さまが84歳の誕生日を、20日迎えられた。
皇后さまの誕生日に寄せた曽野綾子先生の談話が今朝の産経新聞に掲載されている。
その中でその先生は「葉山御用邸で静養中の天皇、皇后両陛下が我が家に来られる」ことがあり、その際は「大根を使った家庭料理をお出しする。」と言われている。

曽野先生はご自宅に客人をお招きするときは、どなたに対してもありきたりの家庭料理を出されると言われているが、天皇皇后陛下に対しても同じようなもてなしをされているということだ。

これまで先生の著書や新聞雑誌への寄稿文を読んで違和感を感ずることは99.99%なかったが、このたびの談話でよくよく先生の人となりがなお一層理解できた。

皇后さまは天皇のご退位後は畑でマクワウリを作って見たいとおっしゃられている。曽野先生は皇后さまがお忍びで書店に寄られるのをお手伝いしたとのことで、皇后さまは後で「文房具売り場にも行きたかった。」とおっしゃられたそうだ。

書店にも、文房具売り場にも行くことができない皇室での不自由な生活から解き放たれるときがこれから少しでもあればと願うところである。

社会人となってから国内留学で英語学校に通っているときの校長が大の皇室嫌いで、天皇制度は憲法違反だとか、皇居などはいらないと戯言を言っていたが、どうしてそのような神経構造になるのか今もって分かることができない。

年齢を重ねるほど野菜畑に山登りにますます忙しくなって、ここしばらくその綾子先生の著書を開くことが少なくなったし、近著の購入も滞って、山部屋に積み上げている曽野綾子先生のご本のリストの更新もここしばらく遠ざかっている。

日高山脈地図無し登山(2018)

2018年の日高山脈の登山記録を探していると「日高山脈地図無し登山」というエッセイがあることを知った。

そのエッセイは日本文藝家協会編著による「ベスト・エッセイ 2018」所掲なるも、初出は「文藝春秋」2017年12月号である。著者は「角幡唯介」でノンフィクション作家・冒険家とある。

朝日新聞社に在籍していたことがあるということだが、エッセイを読んでその内容に空疎さを思えるものだった。ひょっとしたら「日高山脈地図無し登山」はフィクションとも言えそうだったけれど、NHKETV特集で取り上げられたというのだから、まさか虚構ではないだろう。

氏は2017年8月13日から23日までの11日間、地図を持たないで日高の山に入って8日目、カムイエクウチカウシ山の北面が見える稜線に立ったということのようだが、13日から19日までの間どこを彷徨していたのだろうか一切地名や特徴ある地形を示していない。

ブログではカムイエクウチカウシ山のことを八日後に主稜線に出て、こういうかっこいい山に登れた。まだ地図を見てないので、私のなかでこの山はまだメンカウラー岳という、私だけの名前で呼ばれている。」と描いている。事前にもまったく地図を見ていないと言っているようなエッセイや自身のブログの記述振りであるが、登山前も登山後ももまったく地図を見ず、他者の登山記録も見ていないとする氏の言葉は日高の山を長期間歩くということは素人にはにわかに信じられない。

「次々と現れる発電ダムや林道にかなりうんざりした。途中でピラミッド状の山が三つならぶ河原に出たときは、おお、すごい、ここはまるで王家の谷だと感動した」と書いているのが唯一地形的、場所的特徴を表しているが、内容がいたずらに空疎であり、カムエクやピラミッド峰に出るのに8日を要する経路を是非とも知りたいものだ。

「コンクリートから人へ」そしてその結果が・・・。

西日本を中心とする異常気象による大災害の元凶の一つは、やはり「コンクリートから
人へ」のアジテーションを行った旧民主党であるというべきである。

曽野綾子先生は、予算の削減が技術者の減少につながると将来の危機を訴えられていた。正しいことが正しいこととして伝えられず、そのときどきの社会の空気の流れで正しい政策を打てないことが今年の災害にも表れている。

この1年、国会が開かれれば「モリ・カケ」問題に固執し、国の安全などの大事を論じることがなかった野党は、本当に能力がない生き物の集団なのだなと日々思うのである。

https://blogs.yahoo.co.jp/ciqi2/52453000.html
(湖水誕生を読みながら)

日本大学アメリカンフットボール部における反則行為に係る第三者委員会中間報告について

平成30年5月31日、日本大学アメリカンフットボール部における反則行為に係る第三者委員会が設置され、6月29日、中間報告が発表された。テレビでその模様が放映され、さて誰が委員長かと見ていると、広島高等検察庁検事長で退官した勝丸充啓さんであった。
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東京地方検察庁刑事部の副部長から呼び出しを受けた上司は、理不尽な要求をむざむざと呑んで戻ってきた。それは現場にとっては現実を無視したあり得ない要求であり、今の時代で言う過労死を招きかねない過酷な業務運営を強いられることが明白な内容だったので、それを覆そうと部下が単身、談判しに行った。

「努力が足りないから君らは仕事ができないんだ。」というようなことをお話しになられたが、上司が丸呑みした要求は半分押し返して双方が妥協するような内容で落ち着いた。今から考えれば強大な組織に属する権力者による吹けば飛ぶような弱小の組織の者に対するパワハラ以上の要求であったが、妥協したのは予算を掌握する立場になられたときの影響を考慮した結果であった。

パワハラなどというものは、日本大学アメリカンフットボール部に限らず少し前まではどこにでも普遍的に存在していたのではないか。否、今でも立派に存在している。オウム真理教が地下鉄にサリンをまいたその日の朝、地下鉄に乗ってとある場所に向かい、とある会議室に入り、感情を爆発させた検事に怒鳴られ机をけ飛ばされたのは、まったくどうでもないことだったのだなと、今しみじみ思うのである。(2018/6/30)

故栗城史多氏に悪意を持つ東京新聞 (2018)

5月21日にエベレストで滑落死した栗城史多さんに対し、事故発生後8日、まだ葬儀も未定という常識的に微妙な時期に、東京新聞服部文祥氏「反栗城」と受け取られかねない紙面展開をしている。このような、死者に鞭を打つが如くの紙面構成は「これまで日本人が命懸けで作り上げてきた死者を等しく哀悼するという精神文化をないがしろにするものであり納得できない。」とお返しされるだろう。

テントや時計、携帯を持たずサバイバル登山をしているという服部氏が栗城史多さんのことを「3.5流」と評している
が、自分がこけて窮地に陥たときに同行のカメラマンの携帯で救助要請して下界に立っているのだから、栗城氏も「アンタには言われたくない。」といったところだろう。

他に選択肢がなかったからとは言え、3流の新聞が3.4流のハイカーに代弁させて「3.5流」を叩くというお粗末な紙面を見ると、なんという無駄遣いをしてしまったのだろうと反省するしかない。

別に「単独」「無酸素」でいいじゃないか、「サバイバル」も然り。