五竜山荘に巣食う山の『語り部』 (2015)

2015年の夏山で出遭った山の亡霊についてのメモ!

8/2(日)午前4時20分唐松岳のテント場を出発、大黒岳界隈の岩場を抜けると五竜山荘までは穏やかな稜線歩きとなる。午前6時40分に小屋に到着し、小屋前のベンチでトイレ休憩とする。この日は縦走3日目であった。岩場を下りている途中で少し膝の周囲に倦怠感があったので、ロキソニンテープを貼ろうとも思っていた。

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平日でもどこのテント場も早いうちから埋まってしまう

ヘルメットをくくり付けたザックをベンチ脇に置き、小腹を満たしていると、厚いウール地のズボン、赤い色のチェクの厚手のウール地シャツ、ベストという古典的な服装というか、山岳での公の仕事を想像させるスタイルの年寄りが遠慮なしに挨拶言葉などの前置きなしに何やら話しかけてくる。

ザックにくくり付けたヘルメットを指し「これ何?」
「ヘルメットですが。」
「ヘルメットは被って歩かないとだめだ。」
ロキソニンテープを貼っていると「膝が痛いの。そんなんで山を歩くの。」
「(無回答)」
トレッキングポールを見て「こんなのザックに仕舞いなさい。」
「(敵意発生)」

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白岳登ると五竜山荘が見える(はず)

清々しい北アルプスの早朝の2時間を歩いてきてこの老臭が漂いそうな老人の一方的な言葉を浴びて、長崎原爆の語り部として活動し修学旅行の中学生に「死に損ないのくそじじい」と大声を上げられて逆上した年寄りを思い出した。

長野県山岳遭難防止対策協会(県遭対協)が、北アルプスなどの山岳を「ヘルメット着用奨励山域」に指定していることは知っているが、どこでヘルメットを着用するのかは最終的には個々が判断すべきものである。今回の縦走では不帰キレットと八峰キレットでの着用を想定し、それ以外でも着用したところがあった。 

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五竜山荘

長崎の語り部が原爆を浴びた時の年齢は6歳ほどだったろうから、その惨状の記憶は多少残っているのだろう。だから語り部として老後も活動を続けられているのだろうが、体力が必要な山の「語り部」は、年恰好からそろそろその体力も枯渇してきていているのだろう。ただ、山への郷愁は絶ち難く山には来てみても出せるのは口だけ、年寄りのお節介は止み難く狙った獲物にちょっかいを出してみたくなるという性癖も分からないではない。語り部から一方的な思想を植え付けられようと直感して「「死に損ないのくそじじい」と罵ったとしたらこの中学生の感性は至極まっとうであり健全である。中学生を赤子だと思って調子に乗って能書きを垂れたのなら罵られもしよう。

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ここのテント場もすぐ満杯になるらしい

この日の五竜山荘の入り口には「本日は畳一枚に3人」と掲示されていた。もうテントも担げない年寄りが畳一枚に3人の小屋泊で気が触れてしまったわけではなかろう。通りすがりの登山者にちょっかいを掛けるのはただの老害のなせる業である。

畳一枚に3人という山小屋には耐えられない。南アルプスの二軒小屋ロッジを一部屋「御一名様」で予約が取れた(主に登山者用としている一室6名定員の2段ベッド・素泊りの部屋ではない)。しかし、「混雑時の相部屋承諾」という条件が付いた。2ベットの部屋を見知らぬ人との相部屋になるかも知れないというぐらいのことなら、どうって言うこともなだろう。