日本を、信じる (2015)

2015/10/31~11/2
丹波山村~三条の湯(テント)~雲取山~酉谷山避難小屋(泊)~奥多摩

紅葉の時期の喧騒を避けるために、丹波山村をスタートする縦走を計画したが、奥多摩駅の登山者の群れは尋常ではなかった。東日原行きのバスが2台も増便、鴨沢・丹波へも2便増便で、車内は立錐の余地もない。

三条の湯では心配していたテント場に十分余裕があった。温泉(沸かし湯)はいつものとおり疲れた体を十分に癒してくれた。雲取山を経て向かった酉谷山避難小屋は思惑通り独り占めで過ごしたが、前日10月31日は小屋は満杯で、稜線でツェルトを張って寝た人もいたとのことだった。

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サヲラ峠

今回の縦走では、ドナルド・キーンの「日本人の質問」という本を持って行った。彼が東日本大震災後すぐになぜ日本に帰化したのか、氏の本を読んでその心を知りたかったからだ。ほかに誰もいない酉谷山避難小屋でその本を読み終えても、大震災の28年前の本ではその心模様を分かりようがなかった。縦走を終えてすぐ氏の近著「日本を、信じる」を読むと、直截にその心情が書かれている。

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「私は、日本に滞在している外国人が何万人と日本から脱出したというニュースを読んで本当に腹が立ちました。もちろん、小さなお子さんがいる場合は、放射能汚染のことだとか、食べ物や牛乳は大丈夫だろうかとか、いろいろ心配があるでしょう。しかし、そうした事情もなく、長く日本で居心地よく暮らしていたのに、ひとたび日本が災害に見舞われるや、すぐに逃げるなど、まったく関心できません。少なくとも私は違う。私はこの国にいたい。日本の人々と一緒に生きたい。そんな気持ちなのです。私の心はすでに日本人です。」

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my tent

東日本大震災の当日、酒を飲むために私は成田空港にいた。2日後の成田空港は日本から逃れ搭乗の順番を待つ外国人の群れで阿鼻叫喚の世界が広がっていた。「なんだ君たちは。日本が危機困難に直面しているときに、この日本を捨てて一刻も早く立ち去りたいと騒ぎ立てているとは。義援金はどうした。被災者に義援金でも拠出してから騒げ。」と大声を上げて諫めた。

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雲取山から 富士山

11月3日の新聞は、「黒い雨」を浴びた広島の70~90代の男女64人が県を相手取り訴訟を起こすと伝えている。この日本でこの歳まで豊かに生かされたことに感謝こそすれ、この上にまだ援護が必要だとは、開いた口が塞がらない。この日本をだめにしようとしているのは、駅頭でしみったれた風采をさらしてマイクを握り、安倍がどうだとか戦争がどうだとか平和がどうだとか反対の口吻をがなり立てている年寄りやこの国はどうなってもいいという政党に煽られ人達だ。アメリカ生まれのドナルド・キーン氏(93歳)がどのような心情で日本国籍を取得したのか。

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酉谷山避難小屋

キーン氏の「日本の人々と一緒に生きたい。」という言葉の中の「日本の人々」にそういった今の幸せを感謝できない人々が含まれていないことだけは確かだろう。戦後70年、この日本に生まれたことが幸運だったということを理解できなければ、漢字を使うお隣の国で学習し直すしかない。