皇居のエビネ

連休のさ中、家族で都心に出て食事をした。
その後散策をしようと言うことで皇居を歩くことにした。
綺麗に晴れわたり澄み切った空、車の少ない静かな都心はゴミなど落ちておらず街もきれいだ。
皇居の周りはランニングする人も少なくとても好ましい印象で、さらに一歩皇居に入るとそこは落ち着いた風景の別世界であった。
 
皇居東御苑で林の中の小径を歩くと、フタリシズカなどのほかエビネが何事もないように咲いていることに驚く。
他のところにも何か所かにエビネが咲いている。歴史と言うものはこういうことなのかなと思う。身分の低い者にはかなわなかったであろう皇宮への立ち入りがこのように自由に許され、都心の緑の空間として散策が許されるとはありがたいことである。
 
そこで思い出されるのが某日米会話学院の某校長のこと。この校長先生の「憲法」の授業が週に1回あった。
授業でいつも校長が生徒に思想改造を求めていて、特に皇室の存続には強い拒否感を持っていた。
授業中の私に対する「天皇制度を存続させる必要はあるのか」「皇居は必要なのか」という厳しい顔での質問に、的確に答えることがかなわなかったが、「天皇は日本国民の象徴であっていわば日本と言う家族の家長なのであり、そうならば家長がお住まいになる場所としての皇居が都心に広大な土地を占めようが、この国の家長にふさわしい空間があるのは当然。」と言うような趣旨の答えをしたものだった。
 
この校長先生は、宮沢元総理とともにフルブライト留学生の一期生として戦後間もなく渡米した方だが、どう間違ったのか、どう気に食わなかったのか天皇(制度)というものには老いの意地を感じるほどかたくなだった。それはたぶん天皇陛下の戦争責任からだったかのかもしれない。しかし、そのような過去の大戦の責任は特定の一人に求められるものではないとは思うが、つまらない授業で無駄な時間を過ごしたものだ。
 
イメージ 1