日本人はお坊ちゃま過ぎて・・・ 北岳 (2014)

2014/ 7/12~13 
 
 芦安からのルートも、北沢峠からのルートも、台風8号の影響による林道の崩落などが理由で通行できず、唯一路線バスの運行が見込まれる奈良田へ向かった。だが、ただ漫然と奈良田に向かったのではない。このような状況下の週末に北岳に登ろうという魂胆があれば、それなりの想像力を働かせなければならないということだ。
 
 それは、奈良田のバス停に駐車しようとするなら早く着くこと、奈良田のバス停から座ってバスに乗って広河原に行きたいというのなら、早くいい位置をキープするための努力をすべしということである。
 
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 キタダケソウ(南東斜面)
 
 そんな魂胆を持ちながら深夜、奈良田のバスターミナル(?)に着くと、幸運なことに駐車スペースがあった。座って広河原に行きたいなら、始発(0530)が出るバス停に早めに並んでいる必要がある。
 
 この日の始発では、大型バスが7台出たというような話もあるが、実際に始発の時間には大型バス3台が登山者を一杯に詰め込み出発したものの、次のバス停の第二駐車場で漫然とバスを待っている人を含め多くの積み残しがあった。
 
 ところで、奈良田から広河原へ向かうバス停は進行方向と逆なところに置かれている。当初、進行方向の位置にザックを置いてこの日一番の位置を占めようとしたが、それでもこころもとないので、誰も説明や指示のない中、いずれにしても逆向きであってもバス停で並ぼうと幾多の登山者の音頭を取った。するとごまんといる羊たちは黙って従った。
 
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 間ノ岳から北岳に戻る途中で ミヤマダイコンソウ・ミヤマエンドウ・ハクサンイチゲ 
 
 午後1時過ぎ、もうこれ以上エネルギーを産出する余力もない状態で北岳山荘に到着する。この小屋は、受付のスペースに「体が冷えるので衣類は着替えましょう」との親切な案内を掲げている。なぜそんなに疲れるまでの速度で登ったのか(実際は南東斜面のお花畑で小一時間花見をした)というと、土曜日の北岳山荘のテント場を目指して雲霞のごとく人が押し寄せていた(と感じた)からだった。
 
 この日の4張り目としてテント場の受付をすると、ヘリによる荷揚げがあるのでテントは張らないようにとの指示がある。しかし、それがいつまでなのか聞いても要領を得ない。汗だくで登ってきたテント泊登山者に対しては、「食堂は使ってはならない。」と言いながら、いつまで待たせるのか分からないテント場での待機を強いるだけだった。
 
 第2便のヘリの到着を待って受付に「ヘリの荷揚げはいつ終わるの?」と聞いても、これまで社会参加したことのないような緊張感を持たないお嬢さん従業員が「?」という状態で応対した。よって、これじゃ話にならんと富士山が見え、ハイマツに周囲を囲まれて風の影響が低減されるところにキープした場所で、即時テントを張ることにした。それは刑法でいう緊急避難である。冷えによる身体への影響を避けるためである。
 
 ヘリが何度も荷を運んでくる。ヘリの風の影響は日高の稜線での風雨に比べればその10分の一か。ヘリを待っている間にベンチでビールを2本空けてしまったので、テントの中では日本酒タイムである。
 
 もう誰もがテントを張っているのだろうと思って外を見ると誰もテントを張っておらず、寒い寒いと言っている。ちょっと日本人、自分で自分を守れば・・・!
もう5時になって日も傾いているのに、4時間も野ざらしにされているのに、人がいい振りをするのもいい加減にしないと。せめて小屋に食堂を開放せよとの要望を伝えるぐらいの意思表示があっても然るべきである。
 
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