山小屋はいらないのか/三俣山荘 (2014)

 どうせこの種のものは「」のついたものだから、山には関係があってもつまらない内容のことだろうと、この本を長く手をしなかった。
 近所の公園を年寄りが占拠してゲートボールをやっていて、近隣の住民が公園の周縁にでも立ち入ろうものなら集団で追い払うので、年寄りたちに「金を払ってゲートボール場で遊べ」と言った手前、ホームグラウンドである山岳にある「山小屋はいらないのか」の本当の中身はなんだろうかと思って、本を注文した。
 
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 本の中身は結果としてはまったくもってつまらないものだった。というよりこのようなことを訴訟で決着をつけようとした山小屋経営者のA氏の純粋無垢さがおかしかった。そして支援者を集め「山小屋はいらないのか」と本を出してまで大見得を切ってみたものの、その本には本質的なことは何も書かれておらず、抽象的な主義主張を述べているだけであった。
 
 そう言わざるを得ない最大の理由は、A氏が使用許可を受けている国有地の地代がいくらなのか、そして地代が膨大な額に値上げされると騒ぎながら、それがいくらになるのかを一切書かず、遭難者に対応しているとか、登山道を整備しているとかそのような本件とは関係のない枝葉をくどくど述べているだけなのである。
 
 三俣山荘の地代が年間100万円でこれが400万円に一気に上がるというのなら、それは大変だねと言ってあげたかもしれない。しかし、訴訟の対象となった
1986/4/1~1987/3/31の1年間の三俣山荘の地代がたった45,600円で、最終的にはこれが激変緩和措置を講じられた上で最終的に約18万円程度になっただけなのに、何が問題だったのだろうか。(この小屋の宿泊料は9,500円)
 
 それを言うなら、今年、北アルプスの各山小屋はテント料金を800~1,000円に一斉に値上げしているが、これこそひどい話ではないか。山小屋が公共的役割を担っていると訴訟で主張しながら、儲けはいっぱいいただきますでは、本を読まないうちから感じていたうさん臭がやはり本当だったということだ。訴訟で勝とうというのが可笑しい。
 
 既得権にあぐらをかくようなものを放逐しようというのが最近の流れのようだが、街区公園(児童公園)でのゲートボール遊びに月~土の0700~1200までの使用許可を与えているのには阿呆らしいやら馬鹿らしいやら。
 
(訴訟の経緯等についての学生さんの論文)