曽野綾子氏のアパルトヘイト発言炎上 (2015)

2015/2/13~14
タワ尾根~酉谷山避難小屋(往復)

 ラジオを聞きながらえっちらほっちらタワ尾根を登っていると、「曽野綾子」「アパルトヘイト」「炎上」という言葉が流れてきた。この日、ちょうど「生きる姿勢」という曽野綾子さんの本をザックに忍ばせ、電車の中で途中まで読んできており、その中に「訪問着に南アフリカの国花であるキングプロテアの花を描いてもらった。」との記述があったことを思い出した。
 
 そうか、曽野さんはまだ普通の日本人が貧乏なとき、1955年に自動車の運転免許を取って、1960年に(第三国人=この場合朝鮮半島出身?から騙されて)フォルクスワーゲンの中古車を55万円で購入できたほどの身分だから、差別意識があるのかなどと勘繰るのは下種である。

 
 山に登る前に、産経新聞のオピニオン欄で「曽野綾子の透明な歳月の光」~労働力不足と移民~を読んでいたから、どこが問題で炎上したのかなと、山を下りてからもう一度読み返して、炎上の元となったネットを検索もしてみた。

 曽野綾子さんは、「(外国人とも)何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にしたほうがいい」と、コラムでの前段に書いた南アフリカでの経験をもとにそのように書いただけである。また、JOMAS (Japan Overseas Missionary Activity Sponsorship) を通してどれほどアフリカ諸国でも活動している(資金等の援助をした場合は必ずその国に行って使途・効果を確認していることも特筆すべき)か、最新刊では「朝はアフリカの歓び」でも読むのがいいだろう。 

 日本国内でも外国人が近隣者になることでのご近所さんとしての迷惑の度合いが過ぎているとして問題になっている。そのようなことの面倒さを描いているだけのことだが、この「居住」という言葉をことさらにあげつらってこれを「アパルトヘイト擁護」と決めつけ批難するようなことはこの色に染まったひとたちの常とう手段である。(このような言葉狩りを防ぐためには「居住」とせず「住居」とするのがよかったのかもしれないがそれは後講釈である。

 曽野綾子さんの本を少しでも読めば、すぐどのような思想の持ち主か分かるはずである。その前に、人(今回の場合曽野さん)の言葉尻を捉えて貶めようとする者に踊らされるような思慮の足りない人が、この成熟した日本社会にはほとんどいないということを分かってはいないのではないだろうか。