南アルプス/茶臼岳~光岳 (2015)

2015/ 5/ 8~10
畑薙ダム(沼平ゲート)~茶臼岳~光岳(往復)

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シーズンオフの南アはやはりモノが違う 人がいないというだけだが

 残雪の南アルプスの山と言えば、手を出せるのは畑薙ダムから入山する聖岳か光岳・・・。光岳はこれまで4回めざし3回登った。うち1回は昨年の初冬、稜線で強風に煽られてすごすご引き返してきた。「そうだ、再チャレンジしよう!」
 仕事を終え東名高速新静岡ICまで突っ走る。南アルプスの登山口である畑薙ダムまではICからさらに2時間半、狭くくねくね曲がった山道を走らなければならない。ダムの堰堤に着いたのは午前3時少し前であった。

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だれもいない朝 光小屋から
 
 2時間ほど車中で仮眠し、ゲートに移動する。ゲート前には車が2台停められている。入山し山をひたすら登る。ウソッコ沢小屋のノートに、今日早朝に登った人が通過時刻を記している。
 横窪沢小屋から先に進む。しばらく急斜面を汗をかきかき登っていると、男性が下りてくる。「どこまで行くの?」「光岳まで。」「雪で道が不明だから気を付けて行って下さいよ。」「ありがとうございます。」
 もしかして、この方は茶臼小屋の関係者の方かも。

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昨年の今ごろは右側の上河内岳に登っていた 聖には行けなくて

 大無間山のビューポイントのベンチに到着する。ベンチに腰かけていると強烈な睡魔に襲われる。夏山のときの薄着でベンチに倒れ込む。あまりの寒さに目が覚めると1時間寝ていたのだった。のどが痛い。
 茶臼小屋に人はいなかった。ビールと日本酒を水場に浸してからいつでも寝られる準備をする。案の定アルコールを飲んだら気を失うほどの心地よさで寝てしまった。

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中央の山は2016年の今ごろに行きたい山

 2日目の今日の天気予報は、ヤマテンもラジオからのも芳しくない。午後から荒れそうだ。ということで午前5時半光岳に向かう。午前中に着きたい。早々に横殴りの雪が吹き付ける。昨日の足跡が一人分ある。それを追って行くと易老岳手前のピークで躊躇し支尾根を下りて行った新しい足跡がある。足跡を追ってみると男性が・・・。「いやぁ、人に会えてよかった。」「道を失った。」と登り返してくるところだった。ベテランさんでもこのようなことがあるのだ。
 三吉のガレ方向を教えて別れる。光岳では頂上が分からなかったとも言っていた。頂上標識が雪に埋もれていたとしても、そこは小さな「二重山稜」の感じ出なければならないが、そのような感じのところは見なかったとのことだった。

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下山前の身支度で小屋のベンチに佇んでいたところ 
ヘリコプターが2度旋回して頭上を通って行った 
 
 光岳に登ってから小屋で有り余る時間を過ごす。と言っても小屋ノートを読むだ。ノートの記載はさすがに光岳だけのことがある。日本横断の途中の記載が目に付く。高崎紗弥香さん(写真家であり2015年は徳本小屋の従業員としてすでに勤務中)の38日間の記録である。

 3日目は横窪沢小屋で泊まる積りだったが、予定を変更して光小屋から直接下りてしまうことにした。3泊4日分の荷物を背負い上り下りした老体は悲鳴を上げたが、下山に要した9時間中考えていたことは、端折った1日分(明日つまり11日の今日)は奥多摩のどこの山にしようかとか、夏山は北アルプスはやめてやっぱり南アルプスかなとルートなどをあれこれ考えているうちにあっという間に時間は過ぎて行った。

 山は、とっても辛いが、とってもいいなぁとつくづく感じた3日間だった。赤石温泉白樺荘は食堂の営業時間はとうに過ぎていた。しかし、フロントの方がお蕎麦を用意してくれた。髭もじゃの疲れた顔を見て・・・。