わたしに会うまでの1600キロ (2015)

映画「わたしに会うまでの1600キロ」を観に行った。
アメリカ西部を縦断するする「パシフィック・クレスト・トレイル」を舞台とした映画、夢がありそうだ。
定年後、暇になったときにアメリカのトレイルを歩いてみたい、それは夢だった。しかし、現実は元の職場での再雇用で得た資金をもとに国内の山を(ある程度)好き放題に遊んでいる。
そうだ、再雇用の期限を過ぎたら自由な時間を使ってアメリカのトレイルを歩こう。あれほど米語を習得するので苦労したではないか。米国なくしては日本の安全・防衛は存立しないではないか。小さいころ米国のスキムミルクでひもじい給食を満たしてもらったではないか。この世を去るまでに一度はそのような切っても切れない関係の米国の土地を踏んで山歩きをしてみたい。

しかし、「わたしに会うまでの1600キロ」を見てしまったらそんな夢はすっかりしぼんでしまった。まるで安いステーキをナイフで刻んでいるような感じの内容であった。トレイルを巡る風景は味気のない、無味乾燥そのものである。今日は無駄な時間を使ってしまった。やっぱり、山は日本のが一番。小泉武栄先生の著書「日本の山はなぜ美しい」、これに尽きる。

帰路の電車で小さな子供連れの人に席を譲ったら、その家族が電車を降りるとき深々と頭を下げて挨拶して下車された。その美しい姿は、映画はともかくとして、今日という一日がとてもいい日だったことを物語っている。