酉谷山混雑情報 (2015)

この人は、山より平和が大事」と述べている。
だから、「今日」は山のテレビを見たかったが、山の仲間から国会前召集の一斉メールがきたからデモに参加したという。

この国には言論の自由も、表現の自由も、思想の自由もあるから個人が何をしようが構うことはない。国会前では「戦争法案反対」の声を上げようがプラカードを掲げようが好きにやればいい。

しかし、この人は不特定多数が参加できるサイトでこの私の画像を無断使用して登山の参加者を募集していた。それも収容人数わずか5人の避難小屋に、催行の最小人数を「3人」とし、すでに5人が参加を申し込んでいる。

自分が撮影し、自分のホームページに掲載した写真は、著作権法により保護されているというようなことを述べるまでもなく、他人が勝手に使っていいわけがない。そのようなことを大人(老人)が知らぬはずがない。「不注意だった。」という言葉はあったが、画像の無断使用を一言でも詫びる言葉がなかった。他人の法益を犯して「不注意だった。」はないだろう。強く抗議した。

「平和を守る」ということはどういうことか。安保法制を反対というのなら、その条文を本当に読んで、中身が分って言っているのか。この国を取り巻く情勢がどのようなものか知っているのか。

私があなたの家の敷地に入って玄関の手前まで立ち入っても何も感じないのならいいだろう。それも毎日だ。中国の公船が連日のように日本の接続水域に入り、あるいは領海に入るということはそのことと同じではないのか。

中国の軍のトップが、尖閣を巡って戦争になれば、中国は負けるわけにはいかないとの論文を発表した。日本に帰属する我が国固有の領土を守るのは、今は海上保安部でいいし、領土を守るために自衛隊の先制攻撃などあろうはずもない。中国が「戦争になれば」というのは自分が発動した「戦争」ということであって、尖閣という国土の一部を武力によって自分のものにするということではないのか。そのときに「平和」と念仏を唱えていれば領土の侵犯は防げるというのか。

個人の法益を侵犯したものが、ただ「戦争反対」だとか「平和を守れ」だと宣うことに強い憤り抑えきれなかった。平和を守るということは常に用心し、いったんことがあったときには全力で、家族を、この社会を守ることである。その時は命も捨てなければならないこともある。その命を己の代わりに託したのが自衛隊ではないのか。

この「避難小屋」というのは「酉谷山避難小屋」のことである。
使用が予定されているのは2015/12/6~7(日~月)
主催者は次で参加者を募集している。